本連載初回で、欽明天皇(在位:五三九~五七一年)の時代に、百済から医博士が来日していたことを紹介した。実は、この時代には中国からも医学知識がもたらされていた。中国では五八一年に隋が建国されるが、五六二年に南北朝時代の呉から知聡という人物が日本に帰化していたのである。彼がもたらしたのが、『甲乙経』などの医学書百六十余巻だった。これが日本に中国医学が紹介された最初である。『甲乙経』は、三世紀半ばに、皇甫謐が針灸治療に関する幅広い内容をまとめたもの。そこには、針灸経穴を明確にした「明堂図」などが含まれている。六〇七年、推古天皇は小野妹子を遣隋使として派遣した。これに同行したのが恵日、福因らである。恵日は、『続日本紀』天平宝字二(七五八)年四月己巳条によると、もと高句麗人で雄略朝に百済から渡来...

日清貿易研究所は、明治二十三(一八九〇)年九月に、興亜の先覚者・荒尾精が上海に設立した興亜組織である。中国における荒尾の活動は、目薬「精錡水」を製造販売する「楽善堂」を経営する岸田吟香との出会いから始まる。岸田は明治十三年に上海に支店を開設、同十七年には漢口にも支店を設けた。荒尾は明治十九年に中国を訪れ、岸田と意気投合、ともに東亜百年の長計のために協力することを約束した。こうして、漢口楽善堂には三十名近くの興亜の志士たちが次々と集結した。まず、井深彦三郎、高橋謙、宗方小太郎、山内厳らが集まった。さらに、山崎羔三郎、片岡敏彦、石川伍一、藤島武彦、白井新太郎、中野二郎、浦敬一、北御門松二郎、中西正樹、廣岡安太、浅野徳蔵、松田満雄、前田彪、河原角次郎と
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世界がフィリピンに注目している。欧米メディアのもたらす情報や、日米同盟の安全保障に馴れきった日本人にとっては、ドゥテルテ政権の誕生は大きな衝撃となることだろう。ドゥテルテは、その放言で話題になり、「フィリピンのトランプ」と揶揄されている。日本の大手マスメディアは、欧米メディアに追随してドゥテルテを色物候補としてしか扱っていない。だがそうした興味本位のドゥテルテに関する報道は、この大統領の本質を何一つ伝えていない。この大統領を登場させた、麻薬汚染や最悪な治安への人々の怒りを知らなくてはいけない。そしてそうした麻薬や治安の悪化の背景には、五百年もの長きにわたって行われた欧米の植民地支配があるのである。そうしたフィリピンの苦悩は、好奇の目でしかドゥテルテを見ない大メディアの報道には全く登場し...

この度、弊会顧問の原嘉陽先生から大変興味深い文章を頂戴した。それは、インド独立の志士で、ビハリ・ボースと共に日本我が国に亡命し、新宿中村屋でかくまわれたラル・グプタという人物を主題にした文章であり、草開省三先生の原作(「歴史におきざりにされたインド独立の秘話―大アジア主義の悲願に斃れた志士グプタの残照を追って」)を原先生が要約されたものである。草開先生は、大アジア主義に造詣が深く、長年教育界を通じたアジア諸国との交流事業に携わって来られた。筆者(折本)も、平成二十三年に先生の引率で韓国を訪問し、故李方子妃殿下の慰霊祭に参加したことがある。このときの経験は大変印象深く筆者の記憶に残っている。そこで此処では原先生の許可のもと、全文を数回に分けて掲載する。(折本)

文明開化によって近代科学を受け入れた明治日本において、「歴史」と言えば欧州の歴史を指す時代があった。それが那珂通世や内藤湖南、桑原隲蔵らによって東洋史が編まれることになった。「東洋」という領域観念は日本で生まれたということもできるのである。世界史は元朝から始まるともいわれる。それまでは各国が独自に歩みを続けていたものが、元朝の征服によって一つの歴史を歩むようになったからだ。同じように、東洋の各国が良くも悪くも互いに似たような運命にさらされるのも、元朝から始まる。本稿では、わたしの力不足により東洋各国を網羅できていないが、支那地域を中心とした東洋の歴史を見ていきたい。

玄洋社は、福岡藩家老であった加藤司書を源泉とし、西郷隆盛の精神を継承するといわれる。西郷隆盛については「敬天愛人」という言葉とともに、多くの人々の記憶にある。しかし、加藤司書については、西郷と同時
代において活躍しながらも、無名に近い。地元福岡ですら、平野國臣は知っていても加藤司書の知名度は低い。そこで、今回、この加藤司書について述べてみたい。

杉山家に伝わる思想がどの時代から伝わったものか知る由もありませんが、私の父杉山龍丸が書き遺した文章を読むと、私の祖父夢野久作(作家本名杉山泰道)から長男龍丸へと伝えられた教えの一端をうかがい知ることができます。以下は、福岡の月刊誌「フォーNET」に連載したものです。

トランプ政権発足から百日。目下アメリカは、イスラム国の掃討作戦を続けているが、そもそもイスラム国を生み出したのはアメリカ自身であることを忘れてはならない。周知の様に、イスラム国は、アメリカによって打
倒されたサダム・フセイン体制の残党が母体になったとされる。アメリカはサダム・フセインがアルカイダの指導者であるビンラディンを匿っているという言い掛かりを付けてイラクを攻撃したが、そもそもアルカイダを生み出したのもアメリカ自身である。ソ連のアフガン侵攻に対抗してアメリカがビンラディンに武器や資金を援助したことがアルカイダの台頭をもたらしたとされる。