記事紹介【大亜細亜・第三号】『アジアの夜明け―インド独立 の英雄たちと日本』原作・草開省三/要約・原嘉陽

2017年08月05日

この度、弊会顧問の原嘉陽先生から大変興味深い文章を頂戴した。それは、インド独立の志士で、ビハリ・ボースと共に日本我が国に亡命し、新宿中村屋でかくまわれたラル・グプタという人物を主題にした文章であり、草開省三先生の原作(「歴史におきざりにされたインド独立の秘話―大アジア主義の悲願に斃れた志士グプタの残照を追って」)を原先生が要約されたものである。草開先生は、大アジア主義に造詣が深く、長年教育界を通じたアジア諸国との交流事業に携わって来られた。筆者(折本)も、平成二十三年に先生の引率で韓国を訪問し、故李方子妃殿下の慰霊祭に参加したことがある。このときの経験は大変印象深く筆者の記憶に残っている。そこで此処では原先生の許可のもと、全文を数回に分けて掲載する。(折本)

一昭和三十八年の秋のある日、多摩川に近い東京

世田谷の草開邸の庭先に、二人の男が入った。一人は里見。里見に連れられたもう一人は、黒い肌の老人で、ステッキをついている。両ほほから下あごは見事な白いひげにつつまれ、上背のある堂々とした体躯は、一見にして西郷隆盛を思わせる。「やあ、草開さん、おじゃまします。この人が前にお話した、ボビーさんです」「これはこれは、よくいらっしゃいました」草開さんは礼を交わし、座布団をすすめた。二人は縁側に腰を掛けた。「この人が昔上海に住み、インド独立連盟会長をされた、インド独立の影の功労者です」その老人は、流暢な日本語で話し出した。「私はバブ・ボビーです。今から五十年ほど前に日本に亡命してきた、ビハリ・ボースとは兄弟の誓いをした者です。当時はイギリス政府から、追われ続けていました」「おお!もしかすると、あなたはラル・グプタさんではないですか!」グプタは一瞬たじろぎ、強く打ち消した。「いいえ、私はそんな者ではありません」「ビハリ・ボースさんと一緒に中村屋にいたという、グプタさんでしょう?」グプタはしばらく沈黙し、かなたの多摩の低い山波と陽の傾きかけた空を、眺めた。「まあ、今日は初対面です。お互い、少しずつ話していきましょう」と里見が言った。しばらく話すうちに、草開への警戒も解けると、グプタは言った。「草開さん、またお邪魔してもいいですか。昔の事を、誰かに話しておきたいのです」「私も、もっとお話を伺いたいものです」

明治三十二(一八九九)年、インドのカルカッタ郊外の大きな邸宅の一室で、四人の立派な身なりの男が、密談していた。インドでは二百年にわたって次第に支配権を強めてきたイギリスが、一八五七年の反英大反乱を機に直接統合し、一八七七年には、ヴィクトリア女王がインド皇帝になった。一八九八年には「民族運動の息の根を止める」治安維持法が成立した。グプタの父は、カルカッタ付近の地の王侯で、住民の福祉に力を尽くしながら、反英独立の運動を行っていた。「イギリス人支配者たちは、我々独立派に対して、ますます強硬な手段をとり始めた」「話し合いをすることさえ、危険になった」「やはり、もっと穏やかな主張に変えて、長続きさせるほうが、いいのではないか」グプタの父が、立ち上がって叫んだ。「駄目だ!下手な妥協をすれば、永久に独立の可能性はない!」「しかし、どう考えても、やつらの武力に打ち勝つ力は、今の我々にはない」「この世の正義は、どこに消えてしまったのだ!この世は、元々、傲慢と悪智慧の支配する所だったのか!」...四人は話し合いを終え、それぞれ御者のついた(屋根のない)馬車に乗って、帰宅していった。やがてグプタの父の乗った馬車が人気のない野中の道にさしかかった時、銃をかまえた一人の男が、馬車の二人に発砲し、グプタの父は車内にうずくまり、御者は馬車から転げ落ちた。これを見た、後を走っていた仲間の一人が、馬車から降りて、グプタの父に駆け寄った。「しっかりしろ!」「やられた!はやく連絡を!...」「よし、待っていろ!」仲間はグプタの家に駆け込んだ。「大変だ!ご主人様が銃で撃たれた!」  グプタの母が、続いてグプタが庭に掛け出18た。グプタはこの時、十歳の少年だった。「すぐにご主人を、家に運ぶんだ!」グプタたちは、象に乗って、急行した。そしてすぐに家に連れ戻り、手当てをしたが、もはや手遅れだった。グプタの父も、それをさとったか、家族皆をそばに呼び、苦しい息をしながら、語った。「私はもう、助からない。おそらく、すぐに家も財産も没収されるだろう。そうしたら、叔母に援助を頼むがいい」そして、グプタの手を握りしめて、「グプタ、おまえは私の志をついで、インドの独立のためにつくせ。海外に出るのだ。私の尊敬する友人に、ラビンドラナート・タゴールが国内、国外の同志を紹介してくれるだろう。......」「お父さん!」「......」

その後、大きな荷物を提げて、インド各地を転々とするグプタの姿があった。父が死んでから二年後、グプタは数名の一行とともに、インドを脱出した。まず香港を訪れ、それから上海に向かい、両地でイギリス人が清国人やインド人を酷使して、我がもの顔にふるまっているのを見た。一行はさらに上海から日本に渡ろうとして、乗船場にやってきた。「日本行きの、二等切符をください」「お前たちはインド人か」「そうだ」「じゃあ、三等でがまんするんだな」「なんだって!お金はちゃんと払うよ」「それがいやなら、歩いて行け」「なに!」一人がなだめて言った。「まあまて、ここでけんかしても、損なだけだ」一行は船底の三等室に押し込まれた。しばらくすると、隣にいた、商人らしき中国人がたどたどしい英語で話しかけてきた。「あなたたちは、インド人だろう」一人が答えた。「そうだ。インドから、香港、上海を経て、日本に行くところだ」「何しに日本に行くのだ。最近の義和団の戦いのことは知っているだろう。ドイツ、フランス、イギリス、日本、アメリカ、ロシア、オーストリア、イタリアと、八ヶ国の軍隊がわが国の民衆を殺しにやってきたんだ」「しかし、最初にドイトと日本の外交官が殺されたのが事件の始まりと聞いているが」「それはそうだ。だが、西洋人の侵略に負けて、政府は借金がかさみ、それを民衆に押しつけるので、皆、苦しんでいる。それで義和団が立ち上がったのだ。特にイギリスは長い間、麻薬を押し売りして儲けている。そのアヘンは、インドでとれたものだ。インド人にも責任はあるよ。日本も、西洋の真似を始めて、わが国に侵入しようとしている。」「我々の尊敬するタゴールは、日本には立派な人も多いと言っている。これから、その人たちに会いにゆくのだ」船は横浜港に近づいていた。四五人が、甲板からかなたの陸地を眺めている。やがて、遠くに雪を抱いた富士山が、くっきりと浮かび出ててきた。「あれが富士山にちがいない。ヒマラヤの峰ほど高くはないようだが、美しい姿だ。やっと日本に着いたな」「それにしても、風が冷たい。日本の冬は、さぞ寒いだろう」グプタは黙って、大人たちの会話を聞きながら、近づいてくる陸地を眺めていた。その頃、中国の改革、革命を目指す孫文も清国政府の弾圧を逃れて、日本に来ていた。孫文は宮崎滔天、犬養毅、頭山満らの援助を得て、勇気づけられた。特に気鋭の政党政治家犬養は、孫文の日本滞在の許可を外務省からとりつけた。犬養や頭山たちは、孫文とたびたび会っては、国際問題を論議した。「犬養さん、おかげさまで日本滞在の許可がでました」「当然のことです。外務省は清国の背後の、ロシア、ドイツ、フランスの圧力を恐れ、清国に対しても弱腰だ。しかしこれからはあなたのような人の活躍を期待します」「犬養君、先頃日英同盟が成立し、ロシアは満州からの撤兵を約束したが、それどころか現に兵力を増強しているそうじゃ。韓国にさえ、脅威が及んでおる。もはや、一戦を覚悟すべき時だろう」「しかし、相手がロシアでは、わが国の運命を決する戦争になろう。頭山君、バルチック艦隊がやって来て制海権を奪うようなことがあれば、大陸への補給路が断たれ、勝利はおぼつかなくなるぞ」「なに、日本の海軍は、敗けやせん」「ところで、孫文さんは、今の状況をどうみるかね」「日本政府は日英同盟を強化し、わが清国でのイギリスの経済権益を承認しようとしている。これを認めることはできない。我々の運動の目的は、自主独立の国を作ることです」「それはもっともだが、我々は今、北からの火の粉を、振り払わねばならない。日本としては、日英同盟はやむをえない。そういえば、インドでイギリスからの独立運動をしている連中が、日本に立ち寄るそうだ。かれらにとっても、日英同盟は災いだのう」明治三十五年、横浜に上陸したグプタたちは、東京赤坂の「みたらし館」に宿を定め、タゴールの紹介状を頼りに、大山巌、乃木希助、頭山らを訪ねた。頭山も、喜んでかれらとの会見に応じた。「先日、私たちは大山元帥や乃木閣下とお目にかかることができました。お二人とも、親しくお話くださり、インドの自主、独立の回復を願うと、明言しました」「それはよかった。大山さんは特に、西郷隆盛先生の従弟で、その教えを受けた一人です。西郷先生は、お国のインドや清国が西洋諸国に侵略されているのを知り、西洋諸国は野蛮じゃと言われた。私も、西郷先生を最も尊敬しとります。だが、日本は日英同盟を結んだばかりだ。ここしばらくは、イギリスを刺激するようなことはしにくい」「日本にいる間は、自重します。しばらくしたら、アメリカやヨーロッパに渡り、同志たちと連絡を取り合って運動を進めるつもりです」「それがよろしい。西洋の勢いは、今、極まっておる。しかし、それが永久に続くことはない。好機を待つことじゃ。もっとも、白人にも賢明な人間はいるようで、義和団の乱の時の連合国の司令官、ドイツのワルデルゼーは、いかなる国も世界人口の四分の一の中国を統治できる頭脳と兵力はない、と言ったそうだ。インドも同じことだ。そのことにイギリスが気付けば良いのだが。ところで、その王子さんは...」「この方の父親が、イギリス官憲に殺されたのです」「ぼくは、なんとしてでも、父の無念を晴らしたいのです!」「それは立派な考えだ。しかしまだ、無理をしてはいかん。もっと勉強し、力を蓄えなさい。行動はそれからでも遅くない」「......」グプタは、頭山を見つめた。約二年日本に滞在した後、グプタたちはヨーロッパやアメリカの各地を、転々としていた。ある時、ロンドンでインド人留学生が反英ストライキを計画していると聞き、グプタは一人でロンドンへ向かった。ロンドンの同志の住むアパートを訪れ、ドアをノックしようとすると、物陰から刑事が現れた。「警察の者だが、何の用事できた」「......」「名前は」「......」「一緒に来い」グプタは逃げようとしたが、刑事はなんなく彼をつかまえ、手錠をかけた。警察に連行されると、手酷い取り調べを受けた。「お前が最近、連絡を取り合っている者の、名前と住所を言え。この学生のリストの中で、知ってるいる者の名も、言うんだ」「......」「子供だからといって、容赦はしないぞ!」取り調べ官はグプタを殴りつけた。彼は椅子から転げ落ちた。取り調べ官はグプタの胸ぐらをつかみ、どなった。「さあ、全部話すんだ!」グプタは裁判所で、禁固六年の判決を宣告された。狭い監獄の中で、寝たり起きたりして、月日が過ぎていった。 その頃、日本とロシアは戦争を始め、大陸20で死闘を繰り広げた。ある日、看守がやって来て、新聞を投げ込んで言った。「お前にも教えてやろう。とても信じがたい話だが」新聞は、日本の海軍が、ロシアのバルチック艦隊を撃破したことを報じていた。グプタはその記事をむさぼり読んだ。

刑期の途中で病院に入院した時、グプタは巧妙に病院から脱走した。この時にはグプタは二十歳を過ぎ、立派な大人になっていた。すぐにアメリカに渡り、スラム街にひそむ、同志たちと再会した。「おお、グプタ!お前がイギリスで捕まったと聞き、ずいぶん心配していたんだ。よかった!しばらく見ない間に、大人らしくなったなあ!」「ムコジさんも、元気でよかった。今、インドの情勢はどうですか」「ますます、弾圧は激しくなっている。しかし彼らが乱暴になればなるほど、民衆の反感は高まっている。いまこそ、立ち上がる時なんだ。ちょうど良いところに来た。インドから亡命してきた、ラジパト・ライを紹介しよう。君に色々なことを教えてくれるだろう」「君がグプタか。うわさには聞いていたよ。君のような人物が現われるのを、待っていたのだ。きみなら、インドでは忘れられているから、活動しやすいだろう。チャンデルナゴールにいるビハリ・ボースが、インド総督を襲撃する計画を進めている。それに協力してほしい」「ぼくはもう、一人前だ。何でもやるよ」九年ぶりにインドもどったグプタは、さっそく、ボースとともに、爆弾製造に取り組んだ。完成した爆弾を前に、実行の密談が始まった。「最後の問題は、この爆弾をだれかハーディング卿に投げつけるのか、だ」「それはぜひ、ぼくにやらせてくれ」「いや、ぼくのほうが、うまくやれるさ」「これは、年長の、私の役目だ」「まあまあ、それじゃあ、くじで決めたらどうだ」「いいだろう」くじびきをすると、バサンダ・クマール・ビスワスが、当たりくじを差し出した。ボースが言った。「よし、決まった。あとの人間はすぐに場所に隠れるんだ。グプタ、君はゴアに逃げるといい。私はとりあえず、ベナレスに逃げよう」しばらく後、グプタがゴアの街を歩いていると、サリー姿の人が近づいてきて、ささやいた。「グプタ!」それが男の声だったので、グプタはぎょっとしたが、すぐにボースだとわかり、笑いだした。「アハハハ、アハハハ。ボースさんじゃないか!よく似合うよ」「シーッ!笑うな!命懸けで、やって来たんだぞ!ハーディング卿が重傷を負ったことは知っているだろう。捜索がきつくなって、ビスワクは捕まった」ボースたちは、次の計画を話し合った。「軍隊の中のインド兵が味方になって立ち上がれば、勝利は間違いない。まず、かれらを説得することだ。そして我々が決起して先頭に立てば、かれらも決断するだろう。こんどこそ、命もあぶないが、手伝ってくれるか」「もちろんさ。他に頼る人もいない。ボース、あんたを兄と思って、ついて行くよ」「それは有難い。私も、君を本当の弟のように思う」決起の日を一九一五年二月二十一日、場所は北部のラホールと定め、ラホール市内の秘密本部に同志が集結したが、数日前にイギリス官憲はこれを探知して、摘発を始めた。同志の一人が秘密本部に駆け込んだ。「大変だ!警察に知られたらしい。アジトが次々に襲われている!」「よし、我々だけでも、決行しよう!銃をとれ!」グプタたちはラホールのイギリス軍部隊を攻撃したが、イギリス軍はすでにこれを知って、待ち構えていた。仲間が次々と機関銃で、なぎ倒されていった。「突撃するぞ!」「まて!今出ていっても、死ぬだけだ。残念だが、退去するんだ」二人は、僧侶に変装して逃げ続けた。「もう、インドにいるのは危険になった。グプタ、そうしたらいいのだろう」「カルカッタまで行って、そこからまず日本に行こう。以前、親しくなったジャストリさんがいる。きっと協力してくれるだろう。日本に行けば道が開けるような気がする」「それがいい。ロシアとの戦争に勝った日本という国を、ぜひ見てみたい」二人がカルカッタ行きの列車に乗っていると、警官が乗り込んできて、検問が始まった。二人は後部の車両へ移っていった。「これからは、別行動だ。日本で、会おう」ボースがまず、列車から飛び降りた。続いてグプタが、通りかかった川に飛び込んだ。

(続く)