記事紹介【大亜細亜・第三号】史料・日清貿易研究所 開所式における 荒尾精所長訓示

2017年08月20日

日清貿易研究所は、明治二十三(一八九〇)年九月に、興亜の先覚者・荒尾精が上海に設立した興亜組織である。中国における荒尾の活動は、目薬「精錡水」を製造販売する「楽善堂」を経営する岸田吟香との出会いから始まる。岸田は明治十三年に上海に支店を開設、同十七年には漢口にも支店を設けた。荒尾は明治十九年に中国を訪れ、岸田と意気投合、ともに東亜百年の長計のために協力することを約束した。こうして、漢口楽善堂には三十名近くの興亜の志士たちが次々と集結した。まず、井深彦三郎、高橋謙、宗方小太郎、山内厳らが集まった。さらに、山崎羔三郎、片岡敏彦、石川伍一、藤島武彦、白井新太郎、中野二郎、浦敬一、北御門松二郎、中西正樹、廣岡安太、浅野徳蔵、松田満雄、前田彪、河原角次郎と
いった面々が訪ねて来た。彼らは、玄洋社のほか、上海の東洋学館の人脈、熊本の佐々友房の人脈、そして明治十六年に芝罘(現煙台)初代領事として赴任し、清国改造の志を抱いていた南部次郎の人脈などからなる。明治二十二年四月、荒尾は楽善堂を中野二郎らの同志にまかせて東京に戻り、ただちに四年間の経験とその間に収集した情報をまとめて参謀本部に復命書を提出した。復命書において、荒尾は清国の状況を詳細に分析した
上で、清国と戦うも和するも、ともに問題があり、革命勢力と結んで滅清興漢の義兵を起こし、革命政府と同盟を結んで東洋の勢を興すことが重要だと主張している。彼は、欧米の進出に備えるには、日清が互いに貿易を盛んに行なうことによって経済力をつけ(貿易富国)、日清が連携して列強に対抗すべきである(協同防禦)との考えを持っていた。つまり、日清貿易拡大のための人材養成として構想されたのが、日清貿易研究所である。日清貿易に従事する人材養成の機関を上海に設けようというのである。ただし荒尾は、日清にとどまらず、アジア全域を視野に入れていた。明治二十二年十二月に生徒募集のため遊説した博多で行った演説で、次のように語っている。「是よりは更に一歩を進め、亜細亜貿易協 会を設立して、之に亜細亜貿易研究所を附属し、総ての手続きは、日清貿易協会、並びに日清貿易研究所に於けるの順序を以てして、其研究生を日本人のみに限らず、普く亜細亜州内の諸邦、即ち支那、朝鮮、安南、暹羅、緬甸、印度等より、俊秀の青年を募り、其学期は前同断三箇年として、各港輸出入の取調より、各地の物産研究等をなさしめ、卒業の上は、初めて実地の演劇に着手し、各国共に亜細亜貿易協会の支店を置き、右の支店には必ず日本人一名を添え、其国の研究生と共に運動せしめます」(『巨人荒尾精』四十五、四十六頁)。以下の日清貿易研究所校歌にも、興亜の志が窺われる。秋津島根の益荒男が百と五十うち揃ひ大海原に乗り出せば遠く唐土の呉の空に来たりし心人問はば見よ見よ他日その時を雲は晴れたり空澄みて亜細亜の月も照り出でん 一年に及ぶ遊説による生徒募集の結果、全国から三百名もの青年が日清貿易研究所を志願したが、収容能力の限界から百五十名が選抜された。明治二十三年九月三日、荒尾は百五十人の生徒と研究所員数十人と共に横浜から横浜丸に乗り込み、同月九日上海に降り立った。そして、九月二十日に開所式が挙行された。訓示はこのときのものである。日清貿易研究所の科目は清語学、英語学、商業地理、支那商業史、簿記学、商業算、商業実習、貿易学、経済学、法律学、和漢文学、柔道体操など。(解説:坪内)

日清貿易研究所開所式における荒尾精所長訓示

我國貿易の道開けてより四十年外舶の來て我港に出入するもの年に多きを加ふ有無相通ずるの道益々盛なるに至るや應さに遠きにあらざるべし然れども各國對時贏輸相制するの秋に際し世界の經濟をして重きを我國の一挙一動に措かしめ商業の全權を収めて我掌中に歸せんと欲せば必ずや東洋を
凌駕し歐米を睥睨し嚴然として商權を洋の東西に振ふの索を養はざるべからず我國の志士苟も國家經濟の前途を慮るもの亦皆此に見る所なきにあらず然れども我國維新以来日尚淺く瘡痍未だ癒へざるに國家の多事なるに遭遇し士民殆んど奔命に疲憊し空しく此志を抱て果さゞるもの幾許ぞや其極實業の方針鞏固ならず遂に姑息一時を苟偸するの弊習を醸成するに至れり余久しく淸國に遊び彼我貿易の大勢を観察し歸朝の後各府縣を周遊し大に感ずる所あり曰く此勢を振はんと欲せば須く先づ基本を治めざるべからず本とは何ぞや外に貿易の大勢に通暁して贏輸を未然に決するの索を養ひ内は國産の不振を作興して実業の方針を鞏固ならしむるの道を開く是なり此
本治らざれば此姑息遂に改むべからず此姑息矯むべからざれば豈能く外罠を掣肘して商權を振ふを得んや此に於てか不敏を顧みず遂に貿易研究所の設立を企つるに至れり此擧幸に世の容るゝ所となり有志諸氏の賛助と所員諸氏の黽勉とに因り遂に期年ならずして起業の功を成すことを得たり余諸氏と共に父母の國を去てより既に二旬内外の準備略整ひ茲に明治二十三年九月二十日を以て開所式を擧ぐるに至れり此擧に際し余は豫め諸君に請はざるを得ざるものあり夫れ淸國は郷土を離るゝこと遠からず僅に一葦水の間のみ然れども今諸君父兄の心情を沈思するときは割くべからざるの慈愛を割て日夕怡々たる顔貌を見ること能はざるの悲哀を忍び奮然として諸君を海外に遊ばしむる所以のものは是れ必ず大に此より忍びざるものあるにあらざるを得んや今日我國商業の状勢を見るときは猶彼の槽櫪の間に苦めらるゝ疲馬の観なきにあらず汲々として尚ほ食に飽かず常に命を外商に受くるの辱に遇ふ諸君に許すに此行を以てするものは彼を以て是に易へ難ければなり今よりして後諸君負ふ所の任豈に重からずや若し他日其任に堪ゆるの材を為さずんば諸君何の面目か父母の國に歸るを得ん請ふ能く父兄の意を體し寤寐必ず之を忘るゝこと勿れ既に設立の趣旨を陳べ亦諸君の注意を請へり希くは諸君業を勉めよ我國經濟の現況は朽索の千鈞を引くに似たり今此頽勢を挽回し富強の基を開かんとせば必ずや商權の恢復より急なるはなし商權の恢復は彼我貿易の大勢に通ずると實業の振作とより急なるはなし而して此責を負ふ者は諸君にあらずして誰ぞや諸君今より俛焉其業に勤め他日業成るの後各其長ずる所に從て既成の材を奮はゞ歐米を叱咤し東洋を風靡する素も此に始めて其萌芽を出し本所設立の業も亦徒勞に属せざるを得ん乎今開所式を擧ぐるに當り暫らく諸君に望む所を陳ぶること此の如しと云爾
明治二十三年九月二十日   荒尾精