記事紹介【大亜細亜・第二号】アルテミオ・リカルテ生誕一五〇年記念祭開催奉告

2017年03月07日

去る平成二十八年十月二十九日、アルテミオ・リカルテの生誕百五十年記念祭が、横浜山下公園内にあるリカルテ記念碑の前で催行された。リカルテは、フィリピン独立の英雄にして日比友好の絆である。彼は、フィリピン独立革命の指導者として、宗主国のスペイン、そしてアメリカと戦い、米比戦争で敗北して以降は、我が国に亡命した。そして大東亜戦争の勃発に際して、フィリピンに帰還し、山下奉文大将率いる我が軍と共に戦ったのである。結局リカルテは山中で病を発して亡くなったが、戦後フィリピンはアメリカの影響下に於かれながらも独立を果たした。

こうしたリカルテと我が国の深い因縁から、彼の功績は、日比友好の歴史遺産となっている。(リカルテの生涯に関する詳細は、坪内隆彦著『アジア英雄伝』にある「アルテミオ・リカルテ」の伝記並びに折本龍則「アルテミオ・リカルテと日比の絆」を参照のこと)

折しも記念祭に先立つ二十五日から二十七日までの日程でフィリピンのドゥテルテ大統領が来日、メディアの注目を集めた。 ドゥテルテ氏は、国内での麻薬取り締まり で強権を発動する一方で、外交面でも対米自立を推し進め、我が国より先に訪問した中国ではインフラなどの経済支援を求めた。しかしそれはフィリピンが自国の安全保障をアメリカから中国に鞍替えするということではなく、むしろ米中両国を牽制し、互いに競合させ、漁夫の利を得ようという強かな戦略の現れに他ならない。そうしたなかでの訪日であったが、果たして安倍首相はドゥテルテ氏に何を言ったか。よもやアメリカとの同盟の重要性を説いて、ドゥテルテ氏を諌めたというようなことはあるまい。ドゥテルテ氏は、都内での講演で、「おそらく二年以内に外国の軍隊はフィリピンからいなくなる」と述べ、米比軍事同盟の解消を示唆する一方で、安倍首相との会談では、南シナ海におけるシナとの領有権問題については「日本の側に立つ」と述べた。これらの発言が意味するのは、詰まるところ、フィリピンはアメリカでも中国でもなく、独立した日本との対等な同盟を求めているのであり、諌めるべきは対米自立を図るドゥテルテ氏の方ではなく、むしろ旧来の対米従属に固執する安倍首相の方だということである。

また本稿執筆現在、アメリカ大統領選でドナルド・トランプが当選したとの報道がなされているが、今後世界は従来の多極化傾向に一層の拍車がかかると予測される。そうしたなかで、それぞれの国家には自主独立の主体性が強く要請され、我が国もまた従来の対米追従外交の変更が求められるであろう。

さて、秋晴れの週末、家族や恋人が憩う山下公園で行われた記念祭では、十人ほどの参集を得、まず最初に、先日ご逝去された三笠宮殿下のご冥福をお祈りし、黙祷を捧げた後、日比両国の国歌を斉唱した。次に、主催者である弊会代表の折本が挨拶し、リカルテの経歴を簡単に説明した上で、我が国政府はリカルテの功績を日比友好の基盤とし、彼の功績を歴史的財産として外交的に活用すべきであること、そして新任のドゥテルテ大統領を我が国のメディアでは「暴言大統領」や「フィリピンのトランプ」などと云って誹謗する向きもあるが、フィリピンが歴史上欧米から受けた五百年に亘る植民地支配の苦しみが分らずして、ドゥテルテを語る資格はなく、むしろ我が国こそ、アメリカに対する自主独立の気概を示したフィリピンに学ぶべきであると述べた。次に来賓を代表して、アジア史研究家の原嘉陽氏と展転社社長の藤本隆之氏からご挨拶を頂戴した。次に、参列者が順番にリカルテの記念碑に献花し、最後に弊会副代表の小野が参会への謝辞を述べて記念祭は締めくくられた。

その後、会場を横浜関内駅近くのルノアールに移動して弊会顧問の坪内による「リカルテからドゥテルテへ」と題する記念講演があり、参加者共々活発な議論が行われた。講演の終了後、中華街の料理店で催された直会では夜が更けるまで盛大な酒宴が張られた。またその際、本日ご参会頂いた原嘉陽氏による弊会顧問就任が提案され、ご本人より承諾を頂いた。以上、記念祭の開催報告とする。