記事紹介【大亜細亜・第二号】柳宗悦のアジア的価値観  小野耕資

2017年02月07日

柳宗悦という人物

柳宗悦は民藝復興運動や朝鮮美術の再評価などで知られているが、一般社会におけるその思想に対する理解は表面的なものにとどまっており、深いものになっていない。本稿でも取り上げる朝鮮美術への評価も、柳の思想の全体像から位置づけるような論考はごくわずかである。ある種左翼的な人物との誤解もある。右翼左翼などという二分法はとっくに意味を失っており、そうした偏見を除いて虚心に柳の思想を眺めていこうと思う。

柳は明治二十二年に海軍少将柳楢悦の三男として生まれた。旧制学習院高等科を経て東京帝國大学卒業。専攻はウィリアム・ブレイクやウォルト・ホイットマン等の英語圏の宗教哲学であった。柳は志賀直哉、武者小路実
篤らと『白樺』の中心人物として活躍しており、西洋宗教思想に対する論文が多かったが、ある時東洋思想に開眼し、東洋文化に対する論考を発表し始めた。

旧制学習院高等科から東京帝國大学在学中に、同人雑誌グループ白樺派に参加。生活に即した民芸品に注目して「用の美」を唱え、民藝運動を起こした。

東洋文化について論じはじめたのとほぼ同時期に、柳は朝鮮文化への関心を示すようになった。朝鮮民画など朝鮮半島の美術文化にも深い理解を寄せ、京城において道路拡張のため李氏朝鮮時代の旧王宮である景福宮光化
門が取り壊されそうになると、これに反対抗議した。その主張は文化に関する所にとどまらず、大正八年に朝鮮半島で勃発した三・一独立運動に対する朝鮮総督府の弾圧に対し、「反抗する彼ら(朝鮮人)よりも一層愚かなのは、圧迫する我々(日本人)である」と批判した。師である鈴木大拙とも終生交流を保ち、晩年は仏教を題材にした著作を多く発表した。昭和三十六年、師である鈴木大拙より先に七十二歳でなくなっている。大拙は柳の死を受けて、「年よりが長生きして、若いものに先立たれると、又特殊の寂しさを覚える。(中略)日本は大なる東洋的「美の法門」の開拓者を失った。これは日本だけの損失でない。実に世界的なものがある」と評した(「柳君を憶う」)。

民藝への関心

あまり知られていないことではあるが、柳が関心を示したのは朝鮮文化だけではなかった。柳は世界中のありとあらゆる伝統的民芸品、工芸品に関心を持ち、その保存を訴えた。柳は、民芸や工芸の中に伝統が生活に息づいていた様を見たのである。「工藝の美は、傳統の美である。傳統に守られずして民衆に工藝の方向があり得たらうか。そこに見られる凡ての美は堆積せられた傳統の、驚くべき業だと云はねばならぬ。試みに一つの蟲を想へよ、その背後に、打ち續く傳統がなかつたら、あの驚嘆すべき本能があり得たらうか。其存在を支へるものは一つに傳統である。人には自由があると云ひ張るであらうか。だが私達には傳統を破壊する自由が與へられてゐるのではなく、傳統を活かす自由のみが許されてゐるのである。自由を反抗と解するのは淺な經驗に過ぎない。それが拘束に終らなかつた場合があらうか。個性よりも傳統が更に自由な奇蹟を示すのである。私達は自己より更に偉大なもののある事を信じていい。そうしてかかるものへの歸依に、始めて眞の自己を見出す事を悟らねばならぬ。工藝の美はまざまざと此事を教へてくれる」(『民藝大鑑第一巻』)。

柳は民芸品や工芸品、そして晩年に唱えた仏教的信仰を通して近代が失ったゲマインシャフト的共同性や、神聖なるものへの敬虔な感情を取り戻そうと論じていた。

『手仕事の日本』

柳の著書の中でわたしが最も素晴らしいと思うものに、『手仕事の日本』がある。『手仕事の日本』は昭和十七年から十八年ごろに執筆されたが、戦争の激化により出版が滞り、加筆されたうえで昭和二十三年に出版され
た。柳は日本各地に残る民藝文化を発展させるためにこの本を書いたが、戦災と高度経済成長で柳が紹介している民藝のほとんどは博物館にのみ残るものとなり、柳の意図とは異なり戦前日本の手仕事が身近にあった生活を伝える貴重な史料となっている。

柳は、『手仕事の日本』の冒頭で日本は「手仕事の国」であるとして、機械化により「働く人の悦び」や「民族的な特色」が薄まってしまったことを批判する。「気候風土を離れて品物は生まれてこない」のであって、「どの国の人といえどもその国に生まれたという運命に、どこまでも感謝と誇りを有つことが務めではないでしょうか」と語る。風土や歴史は文化の礎であると論じ、その中に民藝を位置付けているのである。民藝は日本人が生み育てた「固有の財産」であって、祖先がわれわれに与えてくれた「伝統の力」による「遺産」であるとした。

柳が各地の民藝を紹介していく中で繰り返し論じているのは、生活に根ざした品物であることと、営利主義による濫造への批判である。特に営利主義については濫造による質の低下などが民藝にも入り込んでいることを「便利さを買って美しさを売ってしまいました」と厳しく批判している。

柳の多元的価値を重んじる思想

柳宗悦の思想には、アジア的な多元的価値観を維持しようとする願いが込められている。多元的なものは多元的なままで一元的であるという発想が非常に強い。各自は各自の文化、歴史、伝統を維持していくことで世界は発展するという価値観を強く抱いていた。それは明治国粋主義と通ずるものである。それを理解しなければ柳の朝鮮への共感は理解できない。柳はなぜ朝鮮文化への関心を示し、光化門の取り壊しに反対する政治的発言を行い、民藝復興運動をおこし、晩年には仏教に篤く傾倒したのか。これらすべて、近代文明や帝国主義に踏みつぶされ、忘れ去られ、時代遅れの価値のないものと見なされ、滅び去ろうとしていたものであった。その滅び去ろうとしているものの中には、現代人が忘れている美がある、というのが柳の主張であった。

ゲマインシャフト的社会と信仰とは密接不可分なものである。柳は「信仰の世界を只夢見る様な想像の世界だと思ふであらうか、否、信仰の世界よりも、より具像な世界を吾々は持つ事が出来ぬ」(柳宗悦「存在の宗教的意味」『柳宗悦全集』三巻)という。信仰は、死者との対話である。死者が甦り、再び現世に影響を与えることを信じない者は、伝統を信じることができない。その残した事績や言葉に触れることで、死者は何度でも甦るのである。祖国の運命を悠久のものにする力が、伝統や信仰にはある。美とは、この伝統や信仰の結晶と言ってよい。そこには、武力や金力に負けぬ力がある。

 「伝統は一人立ちができないものを助けてくれる。それは大きな安全な船にも等しい。そのお蔭で小さな人間も大きな海原を乗り切ることが出来る。伝統は個人の脆さを救ってくれる。実にこの世の多くの美しいものが、美しくなる力なくして成ったことを想い起こさねばならない」(「美の法門」『柳宗悦全集』十八巻)。ここまでくると伝統は「他力」に似てくる。自力救済を重んじる現代社会とは異質な発想であるが、そこに美を認めるのである。

個人の力などごく儚いものである。卑小な個が人生の荒波を超える際に、伝統は大きな助けとなる。伝統は古き良き生命の継承であって、現状維持でも過去の繰り返しでもない。古き良き生命が、自らの人生を支えてくれていることへの自覚である。柳は、「一切の偉大なる芸術は人生を離れて存在しない」と述べたが(「宗教家としてのロダン」『柳宗悦全集』一巻)、それは芸術に限ったことではない。偉大なる事業は人生を離れて存在しない。即ち、伝統や信仰を離れて存在しないということである。人生は絶えず人間性の表現を追い求めている。敬虔な信仰を抜きにして、精神の深みを悟ることはできない。

「霊性」の発見

 「霊性」とは魂とか精神性という言葉と近いが、特に宗教的情操を語る時にこの言葉が使われる。岡倉天心、鈴木大拙、柳宗悦を結ぶ言葉に「霊性」がある。霊性とは魂の問題である。近代文明は確かに人々を物質的に豊かにしたが、その分精神の救済を置き忘れてきた。岡倉と大拙、柳は直接的な繋がりは見当たらない。だがこの三人は「霊性」という言葉で確実に繋がっている。この三人は「霊性」を喫緊の問題と見なしたのである。鈴木大拙は岡倉の霊性に関する議論を深く参照し、発展継承している。その大拙の事業を受け継いだのが柳であった。

柳は親鸞を「同じ罪に泣く人々の友となろうとした」と評価し、寺を持ち僧を名乗る後世の仏教者を批判している。一人の人間として罪に泣く人々に向き合い、魂に寄り添うことを求めた。非僧非俗が親鸞の教えの骨髄であるとした(『南無阿弥陀仏』)。寺に籠らず、僧という特殊な立場に自らを置かず、一人の人間として迷える人の苦しみに寄り添う精神こそ必要としたのである。

儒学においては世の人を救う経世済民を重んじ、個人が悟りを開き救済されることを教える仏教とは相容れぬ面がある。一方でわが国によって生み出され発達してきた仏教思想は個人が修行し悟りを開く上座部仏教ではなく、多くの迷える人を極楽浄土へと救う大乗仏教であった。現世において人々の安楽をもたらさんとする儒学の大理想は素晴らしく、篤く共感する者であるが、一方で死の問題など現世の政治経済では如何ともしがたい問題もわれわれの日常には存在する。また、魂の問題は為政者が足を踏み入れるべき領域とも思われない。儒学と仏教の落としどころを見つけていくことも必要だろう。

柳は仏教に傾倒し数々の著作を残したが、仏教の教団的側面は軽視し批判の対象とした。柳が高く評価したのは、例えば妙行人のように俗世にあって信心深い生活を送った人たちであった。柳は妙好人の生活に信仰が結びついている様に信仰の理想を見たのである。なお、妙好人への注目は鈴木大拙がはじめに行い、柳がそれを発展継承したのである。

柳は信仰や美に、乱れた世を清め美しくする力があると信じた。争いからは何も生まれない。人間が本来持っている情愛によって世を美しくできる。情愛は誰にも奪えないと考えた。伝統は自らの意志で選ぶことのできない、不可避の選択である。不可避の選択とは先人からの声にいやおうなく拘束されるということだ。伝統は人間の感性に染みついている。卑小な欲望ではなく、感性に委ねたとき、それは先人の声に身をゆだねることである。柳の信仰や伝統文化への敬虔な態度をわれわれは今一度顧みる必要があるのではないか。