記事紹介【大亜細亜・第二号】西洋近代思想への抵抗 坪内隆彦

2017年02月14日

アジア諸国は、西洋列強による植民地化の過程で伝統文化を無残に破壊された。劣等感を植え付けられたアジア諸民族は、独自の文化への誇りを失い、人間中心主義、物質至上主義といった西洋近代の価値観を受容していった。こうして、自らの伝統文化、宗教の中の普遍性は忘却させられたのである。

西洋近代文明と対峙し、東洋文明を称揚した先覚者の一人が岡倉天心である。彼は一九〇六年に英文で著した『茶の本』において、次のように喝破した。

「もしもわが国が文明国となるために、身 の毛のよだつ戦争の栄光に拠らなければならないとしたら、われわれは喜んで野蛮人でいよう。われわれの技芸と理想にふさわしい尊敬がはらわれる時まで喜んで待とう」(桶谷秀昭訳)

天心が交流したインドの詩聖タゴールもまた、天心と文明観を共有し、西洋近代の超克を模索した。

一方、列強に蹂躙されたアジア各地の志士たちは、植民地解放闘争を展開していた。その過程で再発見された伝統文化、宗教は、西洋近代文明を超克し得る文明的な意味を持っていた。

例えば、マハトマ・ガンジーは、「近代文明に対する厳しい弾劾の書」と評される『ヒンドゥー・スワラージ』(一九一〇年)において、「私たちの祖先は、機械のつくりかたを知らなかったわけではない。ただそんなものを欲したら徳性を失うだろうということも知っていた。だから熟考したうえで、できる限りのことを、手と足で行うべきであると決めた」と書いている。

パキスタンのムハンマド・イクバールは、独自のイスラーム思想に基づいて、鋭い近代批判を展開した。セイロンのアナガーリカ・ダルマパーラは、「今世紀は一転して眠れる亜細亜を覚醒せざるべからず。而して欧州一流の文明よりも更に完全なる世界的文明を作らざるべからず」と語っていた。インドのビハリ・ボースは、西洋近代の物質偏重を是正し、東洋の伝統思想の復興による文明転換を目指していた。ベトナムのクォン・デもまた、近代主義に批判的なカオダイ教との連携を模索した。

普遍的価値に基づいたアジア文明の復興というビジョンは、多くの場合、それぞれの民族思想とともに、宗教思想に裏付けられていたのである。

独立の維持を果たしたという点において、明治以来の近代化に一定の評価を与えつつも、文明転換の視点を失わなかった日本の興亜陣営とアジアの志士たちは、文明史的課題をも共有していたのである。

やがて、大東亜共栄圏構想が盛んに語られるに至って、西洋近代に対する批判論も、ある種の総括のときを迎える。戦時期に展開された「近代の超克」論がそれだ。昭和十七(一九四二)年七月には、小林秀雄、西谷啓治、亀井勝一郎、諸井三郎、林房雄、鈴木成高、三好達治、菊池正士、津村秀夫、下村寅太郎、中村光夫、吉満義彦、河上徹太郎らが参加して「近代の超克」の座談会が開かれた。これらの参加者は、京都学派の哲学者、日本浪漫派の文学者、『文学界』同人の三グループからなる。京都学派の高坂正顕、高山岩男、鈴木成高、西谷啓治は、ほぼ同時期の『中央公論』においても、座談会「世界史的立場と日本」を行っている。

ただし、列強の勢力に抗して、独立維持のために富国強兵を急いだ明治以降において、西洋近代に背を向けることは困難であった。だからこそ、竹内好は「『近代の超克』は、いわば日本近代史のアポリア(難関)の凝縮であった。復古と維新、尊王と攘夷、鎖国と開国、国粋と文明開化、東洋と西洋という伝統の基本軸における対抗関係が、......一挙に問題として爆発したのが「近代の超克」論議であった」と指摘したのである。

一方、昭和十八年十一月五日、六日の両日、東京で大東亜会議が開催された。東條英機総理、中華民国(南京)国民政府の汪兆銘行政院長、満州国の張景恵総理、フィリピンのホセ・ラウレル大統領、ビルマのバー・モウ総理、タイのワンワイタヤーコーン親王、オブザーバーとして自由インド仮政府首班のチャンドラ・ボースが参加した。

各国代表の言葉には、単に植民地解放と人種平等を訴えるだけではなく、当時の世界秩序を律していた西洋近代の価値観自体に対する批判が込められていたのである。帝国主義、植民地主義、人種差別をもたらした西洋近代の価値観に代わるアジア的価値観の表明である。

確かに、明治以来の日本政府の政策を振り返れば、列強に配慮するあまり、植民地支配からの解放を目指すアジアの志士に背を向けた時期があったこと、外交政策に列強の模倣と受け取られかねない側面があったこと、そして大東亜戦争において軍の一部にわが国が唱える理想に矛盾するような行動が見られたことといった問題があった。

しかし、大東亜会議において語られた各国代表の言葉には、西洋近代文明の在り方を批判し、より健全な人類文明を創造していこうという志が確かに表現されていたのである。

東條首相は、「大東亜における共存共栄の秩序は、大東亜固有の道義的精神に基づくべきものであります」、「大東亜の精神文化は最も崇高、幽玄なるものであります、今後愈々これを長養醇化して広く世界に及ぼすことは、物質文明の行き詰まりを打開し、人類全般の福祉に寄与すること尠からざるものありと信ずるのであります」と語った。

ホセ・ラウレルはこの東條の言葉を受けて「東洋は人類文明の揺籃であり、西洋に対しその宗教と文化とを与えた」と語り、ワンワイタヤーコーンは「アジア大陸は人類発展の源である」と言いきった。

東條は、「自己の繁栄の為には不正、欺瞞、搾取をも敢えて辞せざる米英」と表現し、汪兆銘は大東亜共同宣言が「欧米の功利主義的見解を一掃した」と語り、欧米の政策の背後にある価値観を批判した。

つまり、大東亜会議は、西洋近代の物質至上主義、効率万能主義を批判した岡倉天心の有名な一句「アジアは一つ」の内実が示された瞬間でもあったのではなかろうか。

地球環境問題の深刻化、精神的な価値の喪失感が進む中で、いよいよ西洋近代の超克は大きな課題として、人類全体に突きつけられているといっても良い。いまこそ、近代の超克を模索したアジアの先人たちに学び直す必要があるのではないか。